「具体」−ニッポンの前衛 18年の軌跡@国立新美術館

混雑状況:7/7、つまりこの展示が始まってから最初の週末に行きましたが、すいてました。「大エルミタージュ美術館展」も開催中だったのでそっちのせいでホワイエには人がいっぱいいましたが、「具体」の展示室は、一部屋に客が数人というレベルでした。

具体美術協会(「具体」)は、1954年、関西の抽象美術の先駆者・吉原治良をリーダーに、阪神地域在住の若い美術家たちで結成された前衛美術グループです(1972年解散)。グループ名は、「われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示したい」という思いをあらわしています。
「具体」は、「これまでになかったものを作れ」という吉原の厳しい指示と、公園や舞台、空中を使う展覧会など吉原が繰り出す企画に刺激され、奇想天外な発想でユニークな作品を次々と生み出しました。それらは当時、国内ではほとんど注目されませんでしたが、海外で高い評価を受け、"GUTAI"の名は1950年代後半から欧米の美術界で広く知られるようになりました。

http://www.nact.jp/exhibition_special/2012/gutai/index.html

美術展について書くと「美術展名 混雑」みたいなキーワードで検索してくる人が増えるので、世のため人のために有益な情報を提供するブロッガーとして、冒頭に皆さんが気にしてる情報を書いておいたんだぜ。

上に引用した説明にあるように、具体といっても抽象ばっかりである。ややこしい。オブジェも平面作品もインスタレーションみたいなのもあり、年代順の展示になっているのだけれど、後半の抽象画がよい。特に好きなのは白髪一雄の抽象画、例の、床に置いたキャンバスの上を足で滑るようにして描かれたアレ。以前に横須賀美術館の展示でかなりの量の白髪作品を一度に見たけど、あれも圧巻だった。ヨシダミノルのすごいハイテクなシシオドシみたいなの(って全然伝わりそうにない)が暗闇の中に展示されているのも良かった。あと、70年の万博で「具体」グループがパフォーマンスを発表していたというのは驚きである。けっこう尖ってたんだな万博、と。その当時の映像(音声無し)を見ることができたが、「光るボールをコロコロする」「全身スパンコールの人々がわさわさする」「毛糸玉人間から糸を延々と引き出す」などといった出し物である。「ちょww現代美術イミフwww」などと言われたんだろうか。

「具体」は美術館・ギャラリーのみならず、野外での展示という野心的な試みもやっていたということで、公園を使っての展示が再現されている一室があった。しかしこれ、美術館というよりも博物館のように見えて微妙な感じもした。こういう展示が悪いということはなくて、当時は実際こういうものがこういうふうだったんだ、ということがわかって興味深いものなのだけれど、作品が過去の遺物に見えてしまうというのは残念という気もする。作品自体に時代を超える力が無いから、現在の展示において表現としての価値を持ち得ていない、みたいな話もできなくはないが、それはちょっと意地悪すぎる批判だろう。

話はそれていくのだけれど、展示されている物体が作品に見えるか歴史的資料に見えるか、というのは不思議な問題だ。ゴッホの絵は作品で、縄文土器は史料であるということは、どの程度自明なのか。ちなみにゴッホを例に挙げてみたのは、自分の中ではいかにも近代美術たるものを体現するような人物であるということになっているからで、つまりかの画家には「死後に認められた天才的な個性」があるわけだ。個人の内面の表現が社会的普遍的な価値を持つような空間としての近代。私たちが展示空間で作品と向き合うということはその向こうに作者という消失点を置くすることだし、彼/彼女がそれを通して言わんとしていることに耳を傾けるということだ。目の前の物体が匿名的であったりはたまた人工物でなかったり、「作者の意図」を想定することができない何かであれば、人は通例それを芸術と認めない。無論、現代美術の世界はかなり昔からシッチャカメッチャカなことになっているので、「こんなの芸術じゃない」としか申し上げられないようなものが展示室で美術ヅラをしていたりするものだが、それは芸術の概念に「一捻り」を加えているに過ぎないといっていいはずだ。ジャン・ボードリヤールがグラフィティを称揚していたのも、このへんの近代美術なるシステムに対するカウンターの意味合いである。個人的な感覚として(そしてこれは一般的な感覚だと思うが)、西洋美術ならばルネッサンスあたりからこっちは、だいたい芸術作品という感じになる。これも奇妙なところで、当時の画家は自己表現をする芸術家というよりはパトロンに求められて技術を提供する職人であったはずだが、私たちはそこに表現を見てしまう。

それた話を元に戻せず、最後に写真を貼っておく。ホワイエのガラス張りの面を利用しての展示(作品名失念)。