「こんなに努力してるのに…」よりも「努力してるかどうかなんて関係なく」

繰り返しになるが、ある人が努力をしてきたかどうかなど、当人と当人を知る身近な人しか知りえないのであり、非正規雇用層一般を「努力が足りない」と見なし、しかもそれが政府の政策にまで反映されるとしたら、それは社会的な差別以外の何者でもない。

2008-06-09

この手の話って、一方に「努力してないのが悪い」っていう人々がいて、それに反論しようとして「努力してるのに報われないんだ」って訴えが出てくるのが常なんだけれども、より本質的な反論は「努力してるかどうかなんてどうでもいい」というものであろう。感情的宣伝戦略としては「努力しても努力しても貧乏(だから可哀想)(だから救済を!)」っていう部分を押し出すのはアリだとは思うが、プレカリな人々が努力してるんだかしてないんだか人々は知る由もないわけであって、巨視的統計的に見て問題が発生してるのであれば、自己責任か否かとかで揉めてないで、端的にそれへの対策を打つべきでしょう。

ついき
「端的にそれへの対策を」の意味が分からない。「努力を促す」っていう端的な対策もありうるわなあ。