特殊性はむしろ、単独性を覆い隠す。

逆に、平凡さが「かけがえのなさ」を際立たせる、という面が在る。他の誰かでもまったくもって構わないはずなのに、なぜ、よりにもよって、私なのか?

写真は誰にでも撮れる。たしかにそれは、圧倒的に「表現」ではある。撮影者の個性が刻まれた写真がある。
だがそれ以上に、写真は単に「シャッターボタンを押せば誰でも取れてしまうもの」だ。私ではない誰かでも、撮れる。それは何がしかの断片の「記録」として、客体として存在しうる。
奇妙にも、その事実が、人を誘惑する。