「鹿政談」と――奈良奉行は誰を恐れるのか

「鹿政談」という落語がある。当時、奈良では鹿が非常に大切にされており、鹿を殺めた者は死罪になるほどであったという。ある朝、豆腐屋の店主が犬と見間違えて鹿を殺してしまう。お白州に引き出されることとなった店主。しかしこの被告人、なかなかに善良な人物であり、鹿を殺したのも故意ではないことから、慈悲深い奈良奉行はこの男を助けようと試みる。

豆腐屋六兵衛とはその方か。・・・・・・かなりの齢であるの。何才に相なる」
「へ、今年・・・・六十三で・・・・」
「ほォう、六十三か。不憫なものであるの。その方、生国はいずこじゃ」
「へ、奈良三条通り・・・・・・」
「コレコレコレ、その方、上を恐れるのあまり、気が動転いたしておるのではないか。心を鎮めて返答いたせ。生国、生れはいずこじゃ」
「へ、奈良三条通り・・・・・・」
「おゝ、これ・・・・奈良に生れ、奈良に育った者が、鹿殺しは大罪ということを知らぬはずはあるまい。その方、他国の者であろう。他国から、この奈良へ出でて商売をいたしておるものであろう、の? 前後をわきまえて返答をいたせ。生れはいずこじゃ」
「へ、親代々、三条通りでございます」
「頑稀なる正直者であるの。六兵衛、その方、さきほど、六十三才に相なると申したな。六十三才とも相なれば、耄碌をいたして、前後を忘却いたしたり、物がわからぬようになるというような病があるか」
「ここ、三、四年、鼻風邪ひとつひいたことございません」

http://www.hi-ho.ne.jp/hga00161/daihon/text/sikaseidan.html

お奉行様は、豆腐屋に、サインを出している。密かにメッセージを送っているのだ。しかしあまりにも善良(というかマヌケ)なこの老人は、お奉行様の言葉に字義通りに答えてしまっている。むろん、ここで豆腐屋に期待されているのは、「奈良の生まれではないので鹿殺しが大罪になるとは知らなかった」とか「犯行時のことはよく覚えていない」みたいな偽証を口にすることである。そういった証言を引き出すことができれば、奉行は彼を無罪放免にすることができるかもしれない。ここで注目すべきなのは、奉行があくまでも密かにメッセージを伝えようとしていることだ。奉行が「適当な言い訳してくれれば無罪放免にしてあげるよ」などと発言することはありえないだろう。さて、奉行は次の作戦に出る。鹿の死体を目の前にして、それを犬であると言い張り、さらに検察官(かな?)にも、それを犬であると言わせるのである。

「ほう、ならば、その方、これを鹿じゃと申すか。ならば、奉行、相たずねるが、鹿ならば、角がのうてはかなわぬはず。この死骸に角があるか」
「これはしたり。ご奉行のお言葉とも思えませぬ。鹿は、若葉の候に相なりますると、若葉を食し、よって、角がホロリと落ちる。これを世に、こぼれ角、落し角と申す。また、落ちたる後を、袋角、世に鹿茸と唱え・・・・」
「黙れ! 何事をもって、その方がごときに、鹿茸の講釈をきこうや。〔中略〕出雲! どうじゃ」
「はァ!」
「鹿か」
「はッ」
「犬か?」
「ハ、ハ・・・ハァ」
「鹿か。・・・・・・犬か鹿か」
「ウウッ・・・・・・イヌシカチョウ」
「たわけ。心をすえて返答いたせ。犬か」
「さァ・・・・」
「鹿か」
「そォ・・・・」
「さあ、さァさァさァさァ・・・・・・出雲の返答はどうじゃ!」

かくして、慈悲深い裁きにより、豆腐屋は無罪放免となる。この種の美談は、いくらでもあるだろう。法の「人間的な」運用によって、バカ正直な善人が救われる。考えてみたいのは、奉行はいったい誰から隠れて、ああしたメッセージを伝達しようとしようとしたのか、ということだ。その場に、奉行よりも上の役職の人間がいて、法を恣意的に運用していることがバレては不味かったのだろうか。そんなわけはない。奉行が法を捻じ曲げて善人を救おうとしているのは、(救われようとしていた当の本人以外にとっては)あからさまであったのだから。あるいは、鹿を前にしての明らかな嘘、「これは犬だ」という発言は、いったい誰に向けて為されたものなのか。なぜ「犬だ」と念じるだけではダメで、言語化されなければならないのか。奉行がその視線を気にし、「犬だ」という証言が差し向けられたその場所にいる何者か、それが<他者>である。それは具体的な誰かではないが、圧倒的に私たちを支配している。社会制度や権力者に重ねあわされて現象することは多々あると思うけれど、それらに還元されはしない。奈良奉行は、ただ直接に彼の権限によって罪人を許すことはできない。<他者>の目を盗んで、<他者>には「犬だ」と思い込ませておいて、豆腐屋を逃がしてやらねばならなかった。その場にいた人間は誰もが、その死体が鹿のものであることを知っていたが、<他者>にだけは知られては不味かったのだ。ルール違反がコッソリと行われることは、「健全な社会」にとって極めて重要だ。<他者>がネット上での匿名者を依り代にして暴走する現象として「炎上」を考えたらどうだろう、というのがかつての私のアイディアだったのだけれども、今はもちょっと違うことを妄想している。あと、一応付け加えておくと、私は別に「健全な社会」を称揚しているわけでも、ルール違反を推奨しているわけでもない。