天皇は、いまそこにをられる現実所与の存在としての天皇なしには観念的なゾルレンとしての天皇もありえない、(その逆もしかり)、といふふしぎな二重構造を持つてゐる。

天皇は、いまそこにをられる現実所与の存在としての天皇なしには観念的なゾルレンとしての天皇もありえない、(その逆もしかり)、といふふしぎな二重構造を持つてゐる。すなはち、天皇は私が古事記について述べたやうな神人分離の時代からその二重性格を帯びてをられたのであつた。この天皇の二重構造が何を意味するかといふと、現実所与の存在としての天皇をいかに否定しても、ゾルレンとしての観念的な、理想的な天皇像といふものは歴史と伝統によつて存続し得るし、またその観念的、連続的、理想的な天皇をいかに否定しても、そこにまた現在のやうな現実所与の存在としてのザインとしての天皇が残るといふことの相互の繰り返しを日本の歴史が繰り返してきたと私は考へる。
三島由紀夫「砂漠の住民への論理的弔辞」『討論 三島由紀夫 VS. 東大全共闘 《美と共同体と東大闘争》』