無事。この二文字を日々書き留めるだけで、立派な日記になるのだろう。なまじの記述があるよりはそのほうが、後から読んで、その間の記憶と照らし合わせて、はるかに起伏や曲折が感じられる。無事とは何としても書けない日もまれにはあるので。何事かが起こったということよりも、それまでに無事が何日続いたかのほうが、振り返って、そらおそろしい場合もある。
無事、とことさらに記すのを、不吉だとして嫌う人間もあるだろう。それもまっとうな感じ方だ。それでは、何事もない、とほぐせばよいか。ところがこの「何事もない」が、やや仔細に見れば、たいてい嘘なのだ。では「無事」のほうには、嘘はないのか。そこのところの差は微妙なようだ。
古井由吉「命は惜しく妻も去り難し」『仮往生伝試文』