「生まれる前の」と書くところを、あやうく、「生前の」とつづめそうになった。その「生前」へ追いもどされたような、と言えばよいか、あの少年たちと、自分の母親とが、再従兄弟どうしと聞かされた時の心地は。ハトコという言葉がなにかいやな色をふくんだ。
夜じゅう降っていた雨が、午過ぎからまた落ちはじめた。雨あしもつのっていくようで春先の二日続きの降りになるかと思ったら、あとは降らず降らずみ、薄日の差すこともあったが、地面は濡れたまま、暮れていった。夜更けから風が吹き出して、空が妙に明るく、雲間に望に近い月がかかった。
これだけの天気の移りでもほんとうは、一個の眼が、見たとは記せないはずのものなのだ。これもひょっとして、「生前」に属する事か。
古井由吉「いま暫くは人間に」『仮往生伝試文』