たしかにぼくはLの話を理解することができた。

たしかにぼくはLの話を理解することができた。これは起りうることだ。ここではーーといふのはそれまでぼくが住んでゐた感化院のやうな個體状の世界の外の、この自由なガス状の世界では、といふ意味だけれどーーどんなことも起りうるかはりに、なにごとも信じられない。あらゆるものが可能性の胞衣に包まれて浮遊してゐるのでひとはなにが起つても驚かない。だが驚愕や恐怖のあまり「信じられない!」と叫ぶときひとははじめて信じることができるのではないだらうか?
倉橋由美子「向日葵の家」『反悲劇』