しかしこれはひとごとではないので、男といふものはいくら女を知つたつもりでも、ある日その女について本気で考へはじめると何もわかつてゐなかつたといふことがわかり、いくら考へてもその女をつかまへた気にならない點では百笑氏と五十歩百歩である。

しかしこれはひとごとではないので、男といふものはいくら女を知つたつもりでも、ある日その女について本気で考へはじめると何もわかつてゐなかつたといふことがわかり、いくら考へてもその女をつかまへた気にならない點では百笑氏と五十歩百歩である。つまり、女といふものは暗黒または穴でしかなくて、男は、あるひは男の分泌した想像は、それに吸ひこまれてしまふほかないといふことがわかる。さうしてついでに、「私」の妻のLもさういふ穴であつて、不在といふことも穴のひとつの属性であることをつけくはへておく。
倉橋由美子「酔郷にて」『反悲劇』