しかしそれよりもなにか厄介なのは、痩せたと人に言われる時にかぎってその前に、その場所へ行く道々、往来で人の痩せがしきりと目につくことだ。肥満に苦しむ時代とは言いながら、こうして見ると、痩せた人間はずいぶんと多い。若くて細いのは論外、生来痩せぎすの人間も別だ、これは勘で分かる。そうではなくて、近頃めっきり痩せた、そんな顔がすくなくない。行きずりの人間のことだから、とっさに受ける印象になるが、これが身内や知人ならばひそかに気にかかるだろうほどの、なまあたらしい痩せ方だ。目の光が張りつめて射し、物に縋るようにしながら、途中で斜視ぎみに散乱する。すでにうらめしげにも見える。
実際に大勢の中には、本人も知らず、すでに進行性の病いを内に抱えこんでいる人間もいるだろう。その割合いは、この自分が現にそんなものに侵されているかもしれない、その確率とも大差もないはずだ。じつに一年後には、ここに往来する人間たちのうち、かなりの数がこの世の者ではない。これを重ねて眺めれば、往来は今において幽明の境、生者と死者の行きかうところだ。是非もない。
古井由吉「すゞろに笑壺に」『仮往生伝試文』