物に立たれたように、自分が立つ。未明の寝覚めとかぎらず、日常、くりかえされることだ。日常はその取りとめもない反復と言えるほどのものだ。たいていは何事もないが、ときには、自分がいましがた、長いこと失っていた姿をふと取りもどしたかのような気分から、見馴れたあたりが、ことさら見渡されることがあり、それにつづいて、いや、むしろいよいよ失ったのではないか、と何もかもが紛らわしくなりかける……。
古井由吉「物に立たれて」『仮往生伝試文』